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何もかも「手遅れ」な親父 2

 

母への電話は今どこにいるのか聞いてきたようだった。勿論母は答える必要もない。僕も妹も今更何を言っているのだろうと思っていた。

 

 

新しい生活を充実させようと、母と妹と僕は仕事に打ち込んだ。最も貧困の時は小学校の頃。玉ねぎ炒めにご飯。その時は好きだった一平ちゃんの醤油豚骨ラーメンがとても贅沢品に見えていた。

 

 

 

仕事が忙しくなったことと、妹は高卒で働いていたこともあり、高卒によくある、大学進学への憧れを口にしていた。度々、なんでお兄ちゃんだけ!と言われた事を今も覚えている。お金がない事を嘆いていた。

 

 

僕は工業高校ということもあり、親は就職して少しは楽にしてくれると思っていただろう。僕も高校出たら働いて早くお金が欲しかった。でも、友人の誘いでオープンキャンパスに行き、気持ちが変わってしまった。これが大学か…と強い憧れを持った。当然、親に報告をすると猛反対された。しかし、一切金銭的な援助をしない事を条件に大学へ行く事を許可された。

憧れのキャンパスライフ。

 

 

大学へ進学を決めたのも遅く、国公立に行ける頭もなく、センター試験は視野に入れず、AO入試でひたすらアピールしてなんとか合格。当時、私立だからハードルが低いことも知らず合格ってことだけで有頂天だった。

 

 

そんなこんなでキャンパスライフ開始。

期待と裏腹にバイトと学業の両立は困難を極めた。片道2時間だが、一人暮らしなんかする余裕がない。私立故に学費が高い。奨学金もギリギリの申請でなんとか通ったものの、後のことを考え少額にした。少ない奨学金とバイト代で全部やりくりせねば…そう思うと気が重かった。大学と言えばサークル。正直やりたかったけど、時間と体力がなかった。

 

 

話が逸れたけど妹には大学の事を全部話した。夜勤明けの学校の辛さ、迫り来る学費納期の圧迫感。身体を壊しながらも貯金した口座からお金が空っぽになる虚無感。妹には普通に通えることのありがたさを説明した。学生時代の華やかな生活はお金ありきなこともあるよって。

でも周りと比較してもしょうがないのは分かっていたから妹には行きたければ行きなよ。その代わりちゃんとやりきること。と言っておいた。

 

行けることが当たり前?

奨学金だけで賄う?

親からの仕送りが少ない?

親が出してくれる?

学校近くに一人暮らし?

 

 

正直全部羨ましかった。

無いなら無いなりに国公立に行けば良かった。自分が悪かった。そう思う時があった。

でも全部自分で賄いながらやっていく。なんか周りと違う経験をしている自分が少し誇らしく思えた。